「デブでブスだと認めることが自分を愛する第一歩」。一風変わった“ポジティブ”な考えを持つ22歳の画家|GOOD ART GALLERY #008

Text: Noemi Minami

Artwork: ©Miranda Jill Millen

2017.11.14

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「ある日鏡を見て自分が醜いと感じてしまうことは、誰にでもある。ひどい下痢をしているからかもしれないし、冬太りしてじゃがいもみたいだからかもしれない」

じゃがいも…。かなり真剣なトーンで少々棘があるこのセリフを言い放ったのはオーストラリアのビジュアルアーティストMiranda Jill Millen(ミランダ・ジル・ミレン)。二重あごセルフィーが大好きな22歳だ。

   

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可愛くある必要はない

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代わりに醜くなればいいじゃない

「可愛くある必要はない」「代わりに醜くなればいいじゃない」。ピンク色の上にただそう書かれた彼女の作品。他にも全体的にデブ、ブス、ハゲ…社会で「美しい」とされるものとはかけ離れた特徴がある人が彼女の作品には多い。

醜くなればいいって?醜くなりたい人なんているの?どうしてそういう人たちばっかり描くの?彼女のメッセージの真意とはなんなのか。若い社会派アーティストを紹介するBe inspired!の連載「GOOD ART GALLERY」で今回は少しユニークなものの見方を持つミランダ・ジル・ミレンにインタビュー。彼女の考え方、実は自分を好きになるためにとっても大事。

ブスでも、デブでも、オッケー。

ーまずはじめに、あなた自身について少し教えて?

私の名前はミランダ・ジル・ミレン。22歳で、オーストラリアのメルボルンを拠点としているビジュアルアーティスト。私のアートでは絵画やイラスト、陶器などを通して私たちが考えることを避けてしまっている「醜さ」や不完全さについて探っているの。

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ーそれぞれの社会に「美の基準」があるけど、あなたの作品に出てくる人はどれもその「社会の美の基準」から遠いといってもいいような人ばかり。それはどうして?

私が彼らを愛しているから。小さい頃からパパのカメラを借りて自分の二重アゴの写真とか、醜い顔で自分のことを撮るのが好きだった。面白いし、「醜い」ってことがそんなに悪いことだとは思っていないから。見た目で勝負できない人は他のことで頑張るでしょ?チャーミングに振る舞うことや、知性とか、自分が持っている「見た目の美しさ」以外の何かを伸ばして勝負する。私は個人的にそういう人の方が魅力的だと思うから、彼らのポートレートを描くのが自然なことなの。

メディアや広告で「美とはどうあるべきか」って目の前に突きつけられて、まるで「美しさ」が生きるのに必要なことみたいに思ってしまうかもしれない。でも歴史を見れば、常に「醜い人」は存在していて、そしてこれからも存在し続ける。あなたがどれだけ美しいかってことは、あなたの銀行の残金にも人生の選択にも関係ない。どれだけの醜い白人男性が歴史上で成功したか考えてみてよ?美の基準っていうのは、自分が気にしたら問題になるだけ。みんなに「醜い」ときがあったはず。思春期かもしれないし、80歳になったときかもしれない。全ての人に美しい部分と醜い部分が外面、内面共にあるもんなの。それでいい。

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体が大きくても小さくても関係ないんだよ
問題はどれだけ心が太っているかってこと

ー自分のアートはボディポジティビティアート(体の多様性を受け入れることを啓蒙するアート)だと思う?

うん。いろんな意味でどこにでも通用するタイプのものではないかもしれないけど。 私が興味深いとか美しいって思うものって少し変わっているから、普通の人の基準には当てはまらないかもね。根本的には、自分が愛している体を描いているの。私が日常的に実際に知っている人たちが私のアートに反映されていて、彼らを擁護する意味合いも含まれている。

ーあなたのアートで面白いと思ったのが、「醜さ」を否定していないところ。“YOU CAN BE UGLY INSTEAD(代わりに醜くなればいいじゃない)”っていうメッセージにはどんな思いが込められているの?

美しくなりたいという気持ちを恥じるべきだと言いたいわけではない。もしあなたがセクシーなら、セクシーだし、もし私がセクシーな気分な日があれば、いい日だなと思うよ。でも、ある日鏡を見て自分が醜いと感じてしまうことは、誰にでもある。ひどい下痢をしているからかもしれないし、冬太りしてじゃがいもみたいだからかもしれない。それがどんなものでも、どんなときにきたとしても、「醜くてもいいんだよ」ってことを知っておくべきだと思うの。私はそれを伝えたい。

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自分で肩にポンポンってしてあげて

ーあなたのアート全体を通して伝えたいことは?

私の作品は自分らしくいる人を祝福しているってところが一貫してるかな。テクノロジーが発達したのもあって、自分と他人を簡単に比べることができる。そのせいで自分とは何かを失いやすい。あなたにあって、他の人にないものが、もしかしたらあなたの最高なところかもしれないってことを忘れないで欲しい。

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親指みたいな見た目でもなんにも問題ない

正直になるから、前に進める

欧米を中心に始まったボディポジティビティムーブメントでは、その名の通り、ボディ(体)をポジティブ(前向きに)に見ようという動きが強まっている。ブランドや広告で、これまで見ることが少なかったプラスサイズモデルが起用されはじめ、インスタグラムやツイッターでは「あたなはどんな姿でも美しい」というメッセージがずらり。

でも、そんなこと言われても自分が美しいなんて思えない。そんな風に感じる人は少なくないはず。ミランダは、同じボディポジティビティでもそんな人たちのために一風変わったメッセージを送っているのだ。

「醜くてもいいんだよ」。このメッセージは、「なんでも美しい」というメインストリームなボディポジティビティムーブメントからは一線を画す。もしかしたら、不愉快に思ってしまう人もいるかもしれない。それでも、社会に美の基準が存在している以上、それを無視して「あなたは美しい」と言われるよりは説得力があると思うのは筆者だけ?そしてこれはあくまでも、あなたが社会の美の基準を気にする、なら。ミランダはそもそもこの社会の基準を“あなたの基準”にするかしないかという選択肢は個人にあると言っている。

もし社会が美の基準を押し付けてきて、あなたは抗えず、自分がそれに当てはまっていないと落ち込んでしまうのならば、開き直って「そうですけど、何か?」というぐらいの方が、本当の意味で自分を受け入れるということに近づいているのかもしれない。きっと、そこから「自分の美の基準」探しが始まるのだろう。

Miranda Jill Millen

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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