「自己表現の『許可』をくれ!」ミャンマーに出現した反政府的アンダーグラウンド・シーンを生み出した男

Text: Noemi Minami

2016.12.5

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今、ミャンマーの音楽シーンが熱い。

廃墟や公園でゲリラ的に行われるフェス、JAM It!をベースにアンダーグラウンドな音楽がどんどん出現してきている。

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(Photo by Emmanuel Maillard)

ついこないだの2012年までは全ての歌詞に公式な検閲が存在していたミャンマー。今だにメインストリーム以外の音楽への風当たりは強い。

法律的に歌詞の自由が認められたものの、いまだに反体制的なものは自重するのが当然といった感じだそうだ。2012年以降もFacebookに政府の悪口を書いたアクティビストが投獄された。

そんななか、2002年からパンクバンドを結成し、2012年にJAM IT!を生み出し、人々のための音楽の場を獲得しようと、戦い続ける男がいる。

彼の名はエイ・ディー(Eaid Dhi)。

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エイ・ディーは今回、ミャンマーのアンダーグラウンドシーンについて、そして彼の信念について教えてくれた。

【軍事国家】ミャンマー

1962年のクーデター以降、ミャンマーはネ・ウィン将軍率いるビルマ社会主義計画党(BSPP)が政権を握り、独自の社会主義政策をとる孤立した軍事独裁国家だった。

そのうち政治的にも経済的にも、国民の不満が募り切り、1988年8月8日、8888民主化運動が起こる。

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(Photo by Romel Jacinto)

しかし、軍事政権が勝利。その後も軍事支配が続いた。

そして19年後の2007年、過去2年間で9倍以上に跳ね上がっていたガソリンなどの燃料価格を政府が突然500%も引き上げた事を発端に、8888民主化以降最大のデモンストレーションが起こる。

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(Photo by Myanmar protests.jpg)

これには10万人以上もの人が参加。何千にもの僧が集まった姿が印象的だったため、僧の衣服の色にちなんで、サフラン革命と呼ばれるようになった。

デモ制圧後も、4カ月間にわたりデモに関わった人びとが逮捕されつづけ、700名近くが拘禁された。

やっと2011年3月30日になって、これまでの権力者ほどは保守的ではないテイン・セイン氏が大統領に選出。これにより新政府が発足し、国家平和開発評議会(SPDC)から政権が委譲された。(同時に国名も変更)

勝ち取らなければならない「表現の自由」

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(Photo by Emmanuel Maillard)

民主化の方向性に進むようになった現在までの道のりは長かった。エイ・ディーは次のように語る。

俺たちがバンドを始めた2002年にはまだ歌詞の検閲があった。みんな曲を検閲部に持って行って査定を受けなきゃいけなかったんだ。もちろん政治の事は書けない。公共の場で普通に政治の話しをするのも許されていないような状況だった。そこら中に私服警官が隠れていたんだ。2009年に初めてアルバムをリリースできたんだけど、そのプロセスも腹に立つ事ばっかだったよ。賄賂を渡さないと最短でも3,4ヶ月は歌詞の査定にかかるんだ。

日本では皆が自由に曲を作り、共有する自由がある。当たり前すぎて、それが私たちの「権利」であることも忘れてしまうほどだ。

それが当然ではないミャンマーでは音楽を通しての自己表現は賄賂を渡してまで「獲得」するべきものなのだ。政権交代で少しは良くなったが、完璧な自由にはまだまだ程遠い。

2012年に、ちょっと良くなった。でもメインストリームじゃない俺らみたいな奴らにはチャンスもないも同然だった。ヤンゴンのライブハウスでは14万近く払わなきゃいけない。そんな金はないよ。その上、政府からの許可も必要だ。それには4、5万かかる。それで2012年に公共の場で勝手にライブをするJAM IT!を始めたんだ。お金もかからないし、許可の申請もどうでもいい。政府はもちろんうるさい。それでもなんとか少しずつやってるんだ。

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(Photo by Emmanuel Maillard)

お金もリスクも高いなか、どうして活動を続けるのか。エイ・ディーにそう聞くと彼はこう答えた。

俺たちは俺たちのために音楽をやってる。お金のためじゃない。出演してくれたアーティストに借りを作りたいわけでもない。みんな音楽が好きだ。人々はアーティストのファンになり、彼らを信用する。それって最高のメッセージの伝え方じゃないかな。自分の感情でも、社会や政治に対する考えでも、なんでもね。

音楽のため。自己表現のため。人々に最高の形で自分の意見を伝えるため。運が悪ければ牢屋に入らなければならない、大金を払わなければならないかもしれない、そんななか彼は戦いつづける。

俺の目標は俺たちみたいなミュージシャンがライブができるように、新たなミュージックシーンをちゃんと確立することだ。小さなライブをできるだけしているし、全ての機会を全てのミュージシャンとシェアしている。もしみんなが演奏するチャンスがあるって思えば、もっとアーティスティックな、最高な音楽を作る人が増えるだろ。それが俺のゴールだ。

実は当たり前じゃない「私たちが当然持っている権利」

2016年、国際NGO「国境なき記者団」が報告した「報道の自由度ランキング」によると日本は対象国、地域180箇所の中で72位となった。2010年の11位と比べると6年間で実に61位も下がったことになる。

このランキングはインターネットへのアクセスなども含めた「インフラ」や「メディア環境と自主規制」といった独自の指数に基づいている。

「良い状況」「どちらかと言えば良い」「問題がある」「厳しい」「とても深刻」の5段階の中で、日本は「問題がある」に位置付けられた。これには、2014年の12月に執行された特定秘密保護法が大きく影響している。

「国及び国民の安全の確保に資する」趣旨で実地されたが、反対派が懸念した通り、メディアの自主規制が強くなった。それは特に、安倍晋三首相に対してだと言われている。(参照元:朝日新聞デジタル

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(Photo by Emmanuel Maillard)

もちろん歴史も、文化も、宗教観も異なるミャンマーと日本を単純に比べることはできない。

しかし「好きな曲を好きなように演奏する」ことさえも規制される状況下にある人たちが、戦い続けている事実を考えると、私たちは「言論の自由」をあまりにも当たり前だと思いすぎではないのかと思わずにはいられない。ましてや、私たちはその権利を充分に行使していないのではないだろうか。

私たちには、ある程度恵まれているからこそ見えないものがあるのかもしれない。

※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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